■リポート               

「小さな子どもと芸術の出会い」          

スウェーデン方式による「幼児向け公演のためのワークショップ」から

                     千島  清CAN青芸−      

現在、子ども劇場首都圏の「はじめてのおしばい」プロジェクトを始め、全国のおやこ劇場子ども劇場や地域の小さな子育てサークル、サポート団体などで、012〜3歳児に向けてのお芝居やパフォーマンスの取り組み、また情報の収集など、活動や環境づくりが盛んに行われるようになりました。しかしまだまだ手探りの段階で、つくり手も受け手もさまざまな体験や論議を模索している、というのが実情ではないでしょうか。
 そんな中で「小さな子どもと芸術の出会い」のための指針として、子どもの文化芸術の先進国と言われる、北欧はスウェーデンより講師を招いて、実演家のための「幼児向け公演のためのワークショップ」が、06年3月児演協主催により、東京と福岡にてそれぞれ4日間行われました。これは、児演協・人材育成委員会の事業の一環として行われたもので、講師にはスウェーデンを代表するアーティスト、バーントゥ・フーグルンド氏(フリー演出家・俳優)、レーナ・リンデル氏(女優・オペラ歌手)で、「なぜ観客を少人数にするのか」「年齢に応じた作品づくり」「エクササイズは何のため」「素直な表現をめざそう」「こどもへの視点」といったテーマで、さまざまなエクササイズや座学、DVDでの作品鑑賞や解説、そしてエクササイズを発展しての即興劇から作品づくり、といった内容で行われました。
 「実演家向け」と言いながらも、公演以前と公演後の学習や対話、環境づくりの意味、教育と芸術といった、児童演劇に関わるすべての「大人たち」の役割と任務について、大変意義深いものとして受け止められる内容でした。そして、このワークショップの基本的な理念となる「新しい世界を開く」(幼稚園児及び児童・生徒との演劇に関するガイダンス)という冊子の翻訳をさせていただきました。劇団関係者のみならず、おやこ劇場子ども劇場・公共の劇場施設・教師・地域サークルの保護者のかたがたなど広く読まれることを望みながら、今回のワークショップの体験記を報告させていただきたいと思います。

ワークショップは、福岡では劇団「道化」の俳優達20代・30代を中心に20名。男女比は同じ位。場所は博多市内の劇団「ショーマンシップ」の持ち小屋「甘とう館」。 東京は40代・50代の俳優を中心に16名(男女比同)。西新宿「花伝舎」。いずれも4日間。東京は10時〜5時。福岡は参加者が保育園公演中ということもあり14時〜21時で、朝公演を終えて受講に駆けつける若い女優さんの笑顔が、一同をなごませていました。
 参加劇団は福岡では「道化」と「ショーマンシップ」の俳優と演出者、「風の子・九州」から制作者が参加。東京では「ともしび」「山の音楽舎」「CAN青芸」「うりんこ」「風の子」より俳優達。「東少」から演出者、そしてフリーの女優1名、表現教育家2名の構成。

●初顔合わせ

私は参加者のひとりでもありますが「通訳助手」という名目です。英語も満足に出来ない私がと思いましたが、児演協からマネージャーの立場で同行するようにとの事なので、つまり生活全般をサポートするパシリとかボーヤ的なものだと皆に理解してもらいました。
 スウェーデンは日本とほぼ同じ面積に人口約900万人。27の県からなっていて、どの県にも国立の劇団があり、子どもたちは年に2回小学校での演劇鑑賞を観る権利があるそうです。
 「シャイで無口と言われるスウェーデン人の気質は、よく日本人と似ていると言われます。でもお互い黙っていると前へ進めませんので、分からない事はどんどん質問して下さい。」とバーントゥの挨拶に、皆の緊張が少しほぐれウォーミングアップから簡単なエクササイズへと入りました。

●エクササイズ 

このエクササイズはイギリスのキース・ジョンストンの即興システムを応用して行うもので、共演者に対して「イエス!」という「他者を受け入れる」という精神を貫いてのぞむ事。そして集中力・記憶力・協調性・即興性・アイコンタクトなどを養う目的と、理論としてではなくグループでやる事の大切さを全体で確認してスタートとなりました。

メニューは   

集中・・・・・・・・・・・・・一点、目標を決めそこに向かって進む。

協調性・・・・・・・・・・・円になりひとりづつのポーズを皆でまねる。
             ・自分のクセを3つ音楽に合わせて表現,他の人もそれをまねる。

記憶・・・・・・・・・・・・・ふたり組みになって目をつぶって相手の外観を言い合う。
             ・片方がいすに座り,目をつぶっている間に何箇所かポーズを変える,つまり間違い探し。

アイコンタクト・・・発声と同時に受けた目線を他の人に送る。拒否も出来る。 

協調・集中・・・・・・・ふたりで組み片方が鏡を演じる。
             ・運転手と車になる。
             ・一本のマッチ棒を双方の人差し指で支え合い音楽に合わせ動く。

同時発声・・・・・・・・・二人でひとりの人物を演じる。発した方のセリフに合わせ即興で会話をつくって行き、他の組と対話する。
             ・シュチエーションを決めいろいろな出会いを楽しむ。(例えばカクテルパーティーでいろいろな人と出会う。夜遅く帰ってきた息子と母。頑固な父に結婚の報告をする娘など)

クセの表現については、自分ではなかなか見つけにくい事なのですが、潜在意識の中の動きを演技の前面に出す事により、個性が出て観客に「あの人」という印象を与えるとの事。またマッチ棒ゲームでは、東京チームがいつの間にか5人でつながっていて、マッチ棒で連結した列車がふたり組のマッチ棒トンネルの間をくぐり抜ける、という離れ技をやってのけ、バーントゥとレーナをして、「このメンバーはひとつ言った事を3つ先まで理解する」と驚かせていました。
 アイコンタクトは目線を送るという単純なゲームの中に、即興性を養う・子どもと目で確認し合うという意味と、公演の際「子どもは見ていると同時に見られていることを確認したい存在。そしてコンタクトが成立した時は、舞台を観ているという意識が隣の子と共有できる。つまり、お芝居を共有しているという同意が得られる。そして3才の子でもお芝居のうそ(例えば無対象での演技など)が成立する。」ということなのです。これはセリフであったり、歌であったり、パフォーマンスであったりで、本編に入る前の重要な演出的なテーマでもあります。
 リーダーにならない、考えずに‘今を大事に’というアドバイスのもと、皆で真似るゲームなど若さに任せ思いっきり楽しみながらも笑いをとる福岡のメンバー。冷静沈着な東京のメンバー。対照的な雰囲気ながら、緊張とバランス・コンビネーションを真剣な眼差しでトライする姿は、年令、キャリアに関係なく、アーティストというより皆無邪気な子どもの様でした。
 4日間のメニューを全部紹介出来ないのが残念ですが、この他後半では二人羽織りやロボットダンスなど爆笑の連続と、一転して「友人の突然の悲報を聞いて、遺影の前で最期の別れの挨拶をする」というシーン(東京のみ)では、全員おごそかな雰囲気の中での「感情の表出やコントロールをする」というものなど、まさに内面的にも身体的にも、表現形式の振り幅の大きなメニューに果敢にトライし、ワンシーン終わるごとの開放されたさわやかな笑顔が皆の充実感を反映していました。
 こうしたエクササイズは、作品づくりはもとより、海外からのオファーや他ジャンル(バレーや音楽家など)とのコラボの際、なかなか「イエス」のコミュニケーションが取れにくい時や、劇団内で作品を同じキャストで上演することが長く続き、新鮮な対応が薄くなってきた時などに有効であるとも語っておりました。
 また俳優の表現とは、演出家の指導に従うのではなく、「クセ」の表現にみられるように、俳優自らが自分の素材を演技プランに持ち込む事によって、「素直な表現」となり作品の幅を広げるということです。集団での作品づくりの基本は、個人が自立した演劇人であるということが前提なのです。
 休憩。90分やって20分休み、コーヒーブレイクは彼らの必須条件だそうです。

●歴史と背景

 1968年という年は、スウェーデンの児童演劇界においてまさに劇的な年だったのです。
 フランスの五月革命に影響されたヨーロッパにあって、「若者の蜂起」と呼ばれるセンセーショナルな運動が全土を席巻しました。フランス政府が、労働者の団結権・学生の自治権・教育制度の民主化などを承認したことに影響を受けたデンマークに、スウェーデンがならう形となり、旧来の道徳的・習慣的価値観を否定し、革新的な社会改革とタブーの崩壊などを旗印に、若者達が旧態の政治・文化体制に新しい価値観をぶつける形で「蜂起」したのです。これにより福祉行政・文化行政など大きな改革をみせました。
 児童演劇の世界でも大きな変化がありました。お芝居はかつては家族でよそいきの服を着てクリスマスなどのお楽しみとして年に何回か劇場に足を運ぶ、また学校から皆で観に行くという大きな劇場中心で、「喋らない」「道徳を教わる」ものとして君臨していました。しかし、この「蜂起」の風の中「子どもは成人期を待つ準備期間ではなく、大人より豊かな感受性を持つひとりの人間である。その子どもが文化に出会うという事は、想像力を育み、自分なりの表現を見つけられるようにするということである。それはアーティストになる為ではなく、豊かな人生を送る子どもの権利である。」という考え方のもとに、若き劇団員と教師・親たちが団結をして、国を相手に「演劇は子どもにとって必須なもの」という要求をしていく、まさに「蜂起」と呼ぶにふさわしい活動を展開。その結果、政府は子ども達に経済的にも行事としても、優先的に芸術を鑑賞させるよう「芸術政策」を定めたのです。
 そして当時、役者も監督も劇作家も皆劇場から姿をくらまし、全国の学校の体育館へと散って行きました。学校での公演――訪問公演のはじまりです。内容も昔話や教訓的なものは避け、演劇を子ども達の生活の自然な一部にするため、子ども達のために書かれた脚本に、子ども達自身の経験を反映させるという演出の作品づくりや、子ども達が「自分は特別に選ばれ、認められた存在」だと感じる事が出来る様、少人数に観てもらうというコンセプトも生まれてきました。
 現在、国立の大劇団が30あり収入の95%を政府が援助。あと中小合わせて100位の劇団が20%の援助で活動しており、その他中小の自主劇団が100位あるとのことです。講師のレーナは以前、リクステアーテンという大劇団に永く在籍していたのですが、思いあって今4人で劇団をつくり、幼稚園・保育園の公演を中心に活動しているそうです。
 古典などシェークスピアやギリシャ神話など上演している児童劇団もありますが、今の子ども達にとってのテーマの必要性を説得出来なくてはなりません。
 訪問公演のシステムは日本と似ていて体育館や講堂で上演されます。決め方はフェスティバルが行われます。担当の先生達は年2回の演劇鑑賞を「観て決める」のが義務ですから、一週間程のフェスティバル期間中は公用の休みをとって皆現地に赴きます。内容についてはピックアップされた劇団と充分に話し合いをし、事前学習をして、さらに公演後の話し合いも必要とあれば劇団員を呼んで行うこともある、ということです。
 終演後に子ども達が輪になって、目をつぶって覚えているシーンを言い合ったり、絵や文章や人形劇にしたり、テーマや問題などを話し合う事にたっぷり時間をかけるそうです。そして異なる意見や違った好みを聞く事や、じっくり考えたり深めたりする事が、子ども達にとってワクワクするほど楽しい体験なのです。

*参考文献「児童文化」(スウェーデン文化交流会)・「北欧史」(百瀬宏・山川出版)

DVD鑑賞から

 20年前の作品から現在までの評価の高いもの9本持ってきており、どの作品も楽しくまた考えさせられる内容のものばかりでした。全部を紹介出来ませんが、印象に残ったものをいくつか上げてみましょう。

『卵から生まれたアヒル』 3才〜6才
■卵を割って出て来たアヒルの赤ちゃんが、親を探して右往左往する・・・。
*俳優の顔だけ見えるアヒルの着ぐるみが登場。2才だと中にいる「ひと」はわからないが、3才だと「ひとが入っている」とか「後ろに何かある」ということがわかる。

『夢の話の連作』 4才〜6才
■博物館に来た男が絵を見ているうちに寝てしまうと絵が動き出す。終始音楽が流れている。(ドリームメーカー)
*絵の動きの楽しさと音楽(生演奏)の味わい。
■杖をついた老人が雪の中で転んでしまう。起き上がると音楽とともにクラッシックバレーを踊りだす。ひと通り踊り終わると、もとの老人として帰って行く。(散歩)
*いきなり踊りだすので意表をつかれるが、バレーがうますぎるので笑ってしまう。
■黄泉の国と現実の境目にいる死んだおばあちゃん。「この世でやり残したことがある」というので、天使がいくつかのシーンを見せる。おばあちゃんはため息をついて奥の灯りへと消えていく。(エンジェル)
*「死」というテーマ扱う。

『斑点を落とした豹』 3〜6才
■自分の斑点ばかり数えては悦に入ってる豹に、友達になりたいサルが遊びに誘う。ところが、遊びの途中でも寝ている時でもいつも斑点を数える豹に、怒ったサルはある時寝ている豹にペンキでその斑点を消してしまう。豹は朝起きていつものように斑点を数え始めるのだが、1・2・3・・・1・2・3・・・おかしいいつもあるはずのものがない!あわてた豹は斑点を探しにジャングルの中へ・・・。ズーっと見ていたサルのほくそ笑みの中、雨が降ってきて斑点が現れて・・・おしまい。
*斑点もペンキも無対象。木に見立てた脚立が一本の小舞台に、3人の俳優が歌いながらの楽しいお芝居。子ども達もよく笑っていたので、3才の子に見えない斑点やペンキが理解されている事が伝わってきて、アイコンタクトにより無対象が成立している見本のような例です。その後、ふたり(二匹?)がどうなったかは説明せずに終わらせ、観客に想像する事、討論の材料とする事をねらいとしています。この話はアフリカの3〜4行のお話からヒントを得て創ったものだそうで、受講者からクウォリティーの高い作品として注目を集めていました。

観客数は学校では25〜50人位のクラス単位。100人前後の学年単位。劇場でも100〜200人位で、それ以上の観客数向けの作品はスウェーデンでは存在しないそうです。舞台は日本の小劇場のステージいっぱい位のリアルなものや、ブラックボックスシステムといって、どんなところでも設営可能な、変幻自在な構成舞台というのもあるそうです。俳優は2人から10人以上という作品もあり、歌や生演奏があります。
 スウェーデンの俳優は演劇学校または専門学校を出ていることは勿論ですが、専攻のほかに楽器や歌など音楽的な履修もするそうです。ですから舞台がピアノやチェロなど楽器で溢れたりする事は多々あり、レーナのようにオペラ歌手として外部出演する事もあるそうです。

●年齢とテーマ

どの作品も観客年令を厳密に提示している事が特徴的です。0〜1・1〜2・2〜4・4〜6才という具合に広くない年令幅を指定します。これはストックフォルムの研究者たちと具体的に検証してきて、理論化されてきたものだそうですが、演劇的な反応として、

0〜2才  いつでも感覚を使っている。特に音。
      時間はわからない。(昨日・昔、昔〜など)

0〜6ヶ月 色を認識。母親の顔を見ることが重要。

6ヶ月〜  動きに注目

2才〜   音に集中し歌が歌えるようになる。
      1・2・3・4はわからない。1か沢山か。抽象は分からない。

3才〜   抽象を理解。・・・・・・ごっこ遊び。

○具体的にこんな作品を創ったそうです。

【対象年齢8ヶ月】

舞台に上からカゴが吊るされている。(8体くらい)。中に乳児を入れ、何人かの俳優がマ スクを持って子ども達の目の前で表情を表わしながら回る。母親は別の席でこれを見ている。

【対象年齢2才】 

服を着る---外へ遊びに行く。脱ぐ---寝る。これのくり返し。

*ストーリーは理解出来ないので、劇とはいえないが子どもは動きに反応してついてくる。
*観客としては、8ヶ月くらいからパフォーマンスが成立するのではという結論。
*子どもはお腹にいる時からリズム・音を感じており、生まれた瞬間から母親の声を真似ようとする。
*ストーリーは3才位から理解し、30分の作品が限度だろう。
*色や音を繰り返し使うということが大事。
*明快なコンセプトを理解してもらうために大人にもみせる。

――というような、子どもの発達に関する分析や検証が繰り返された上、さらに慎重な作品づくりが要求され、そして年齢に応じたテーマ性が分析結果に限定されるのではなく、むしろ社会性、タブー(性や離婚や死など)といった領域まで広げ、作品に個性・多様性がもたらされています。スウェーデンの児童演劇界が、世界の中でも高い水準の作品を世に送り出していることのあらわれといえるでしょう。
「(児童文化は)大人文化と同様に、悲哀や離婚、失業、死、愛、エロチシズム、裏切り、虐待などがすべて取り上げられている。スウェーデンの児童文化に携わるほとんどの者が、あるがままの人生を見せようとしながら、同時に一方では子ども達に夢と想像の世界への翼を与えている。真の芸術作品は私達の心を揺り動かし、大きなトラウマとなる経験を克服する道を必ず与えてくれるのである」。(前出「児童文化・スウェーデン文化交流会発行」)

●即興劇

フロアーのまん中に色とりどりのボタンが3〜40個置いてあります。好きな物を取るように言われました。
 「誰が身に着けていたのか想像して下さい。年令、性格、職業、特徴を」と前置きして「情報化社会の中で、想像力が劣ってきているのはこどもだけではありません。想い描く事、そのために聴くこと、静かに聴くことが大事です。」
 そして各人がキャラクターを述べると、4〜5人でグループを組んで即興で物語を作るよう状況が与えられます。
 パーティー・空港・動物園・遊園地といった設定で、衝突、トラブル、事件を織り込んで10分位の話し合いで2〜3分の演技を---という指定です。
 皆、緊張の面持ちで舞台に上がるや、話は奇想天外な方向へ行ったり行き詰ったり。「これがニワカ芝居だ!」とでも言うような、流れるような博多弁の軽妙なやりとりや(福岡)、ロシア語の喋れないロシア人、打ち合せに無い透明人間の出現、あげくはNHKよろしく「ジェスチャーゲーム」的演技が出るなど、共演者も真っ青の波乱万丈の即興寸劇でした。
 「子どもが理解するということは、おとなが考える理屈としての〈子どもの理解〉や〈評価〉ではなく、子どもの五感に訴えていかに〈こころ〉に届かせるかということを常に意識しなくてはなりません。」少し脱線した表現もあったようです。

●作品づくりへ

テーマは「12月の風の強い夜」というタイトルを与えられ、3グループの発表でしたが、ここでは作品の出来は割愛させていただき上演以前について多く学んだことを報告したいと思います。
 作品の対象年齢、設営条件、照明・音楽などの演出的要素、物語のテーマなどを明確にし、各グループからプレゼンテーターを選出して、観客を学校の先生や買い付けに来たプロデューサーに見立てて売り込みから始めるわけです。そして開演・・・となる前に観客はすべて会場の外に出されます。
 これは、子どもたちが作品世界に入る為の「こころの準備」とでもいうような演出なのですが、開場前の扉からこども達に囁きます。「中は雪が降っているから足元に気をつけてね。」とか、いい匂いのする花の枝を嗅がせ「この枝を拾った森の中に行ってみようか」というような誘導で、子ども達は静かにそして既に劇世界に入っています。
 デンマークの劇団の例を語ってくれました。
 4〜5歳児対象の作品で、開場を待っている子ども達の間を縫う様にひとりの劇団員が何かを探している。ザワ付いていた子ども達は「この人何?」と思うとだんだん静かになってくる。そこで「僕の蟻見なかった?」。子ども達はそ〜っと探し出します。「あっちかも・・・」と劇場内に誘導すると、客席の中央あたりで「いたいた!」そして無対象の蟻を手のひらに乗せ「君たちと一緒に劇を観てもいいかな?」子ども達は「いいよ!」といって開演になり、勿論「蟻」にまつわるお話が始まります。
 無対象の蟻ん子を見つけた時「いないじゃん」とか「何?」という子はいないそうで、開演前の雰囲気づくりとアイコンタクトの典型的な成功例だそうです。 
 開演前ということでは、日本の小学校でも時として見られる担当の先生の威圧的な言動や、続く校長先生の難解な挨拶。こういった現象について、スウェーデンでは事前に主催者と充分な話し合いをし、開演にふさわしくない事はやらない取り決めをします。そして「先生のためのワークショップ」も行い、場所や観客数といった環境づくりのための条件を理解してもらいます。劇場の中と外は別世界。「劇空間は神聖な場所」という事なのです。
 それら、観客数や条件について折り合わなければ契約は成立しないという事、仮に公演後騒ぐ子がいたり、押さえつけようとする先生が出た場合、それは私たち劇団の責任と受け止めるという事。そして、いきおいこうした条件をおざなりにする事は、作品としてエンターテイメントの方向に進まざるを得ない---「子どものための芸術」とはいえない、となります。

●感想から  

4日間のメニューを終え、残り1時間くらいを合評会として全員で円坐になりそれぞれ想いを交歓し合いました。
 多かったのは、劇団で永く子どものための公演をやっていながら、観客数、年齢、環境づくりなどおざなりにしてきた事。また、お金の面でどこかおざなりにせざるを得えないできてしまった事など、あらためて考えさせられた。2歳児に向けての作品づくりにしっかりとしたコンセプトを持って意欲的に取り組んでみたい。日本では、子ども向けの演劇は大人向けのものより芸術性が低いという認識があるが、アート性の高いものを目ざしそれをくつがえしたい。等々でした。 児童演劇の世界だけでなく、日本とスウェーデンでは子どもを取り巻く環境の違いや、政治的社会的背景の違いなど体制に大きな違いがあり、現在の日本では「子どもと芸術について」スウェーデンの「若者の蜂起」のような、革命的な変革は望めないでしょうが、今回のワークショップにおいて、その方法や考え方、捉え方に大変大きな啓発を受けた事は確かです。これを今後にどう生かしていくか。子ども達と出会う公演の「現場」や打合せで、共に演劇づくりを支えている関係者達や各劇団間と・・・・・・。やりがいのある課題でしょう。
 合評会の終了間際、参加者のひとりがスックと立ち上がり「今、俺達から始めなくてはいけないんだよ」という熱い発言を受けて、レーナが答えてくれました。
「変えていく事の責任を大人が持たなくてはいけません。変化の開始です。『イエス』と受け入れたところから始まりです。インドの諺に『蟻はゾウを一日では食べられません』と言います。正しいと思うことを時間をかけてやり続ける事です。」
 たくさんの小さな子ども達へ、演劇を「神聖な」ものとして届けるために。


★晩成書房発行 ジャーナル「げき」5号より転載